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学生を後ろから襲った戦車 六四天安門事件

学生を後ろから襲った戦車 六四天安門事件

天安門事件が如何に残虐なモノであったか!
虐殺どころではなく、
大虐殺であったことが改めて浮き彫りにされる…!
米国もそれを語り、
30年の歳月はその無念を明らかにする…!

 

一番隠したがっているのは、

中国共産党である。

その又私兵の人民解放軍である。

中国人は総体的に自由を求めているだろうが、

中共はまた別である。

 

支那人も含め、

各諸民族を圧政の中に奴隷化を進めている。

その典型が新疆ウイグルであり、

チベットであるが、

その矛先は支那人自身にも向けられたのが「六四天安門事件」であった。

 

その犠牲者は軽く1万人を超える。

直後の発表では0人であった。

隠しきれなくて200人になった。

その内、

1000人となりそれ以上と囁かれるようになったが、

今では一万人以上、

数万人とする説もある。

 

丸腰の抗議者を一瞬にして万人単位で虐殺したのである。

前代未聞の大虐殺だ。

戦争以外で一般市民に対してこれほどの大虐殺は他に例がない。

しかも、

一日一夜にしてである。

 

その詳細な状況が明らかにされているが、

当の中国人には知られていない。

知る必要がある。

「天安門事件は虐殺」米が中国非難 人権問題でも圧力か NHKニュース

 

あれほど「天安門事件隠し」に中共政権に忖度してきたNHKも

アメリカ国務省報道官の「虐殺」明言で、

やむなく報道を開始し始めた?!

だんだんと外堀が埋められてくる。

 

ファーウェイに続いて、

「六四天安門事件」は弥が上にも制裁理由に遡上してくる・・・。

当然に成り行きである。

「法輪功学習者弾圧」暴露と批判もこれから高まる。

「臓器移植・売買問題」も然りである。

 

とにかく、

中国共産党は非道の限りを尽くしている。

中共政権は末路の道をひた歩むことになろう。

今は、

貿易戦争というソフト対立だが、

その底辺は中共の諜報戦略の破壊である。

それにより経済衰退から、

軍事兵站の劣化に繋げようとしている段階である。

 

やがて、

中国共産党に対する政治攻勢が強まるだろう。

共産党のお家芸である「二枚舌」と暴虐非道体質に対する攻勢だ。

折しも、

その子分格である北朝鮮の粛清問題が

暴露され始めた。

何と、

米朝会議の推進スタッフが、

ハノイ会談決裂の責任を問われ、

死刑を含む強制収容所送りの粛清を実施したというのだ。

恐ろしい話である。

 

[ソウル 31日 ロイター] - 韓国紙の朝鮮日報が31日に報じたところによると、北朝鮮は2月の米朝首脳会談が物別れに終わった責任を問い、金革哲(キム・ヒョクチョル)対米特別代表、および事務レベルの交渉を行った複数の外務省担当者を処刑した。

同紙が匿名の北朝鮮筋の話として伝えたところによると、金革哲氏は4人の外務省幹部とともに3月に平壌の美林飛行場で処刑された。いずれも米国のためにスパイ活動を行った罪に問われたという。

同筋は朝鮮日報に「交渉に関して米国の意図を適切に把握しない不十分な報告を行ったため」、金革哲氏はスパイの罪に問われたと述べた。

同紙によると、金正恩朝鮮労働党委員長の側近で、米朝首脳会談に向けてポンペオ米国務長官のカウンターパートを務めていた金英哲(キム・ヨンチョル)党副委員長は強制労働と思想教育を受けるために中国との国境近くの施設に送られた。

 

それによると、

金正恩の妹金与正も謹慎という話である。

 

共産独裁と言うのは、

常に責任を他者に転嫁することを憚らない。

これは中共も北朝鮮も同じである。

日本の左翼・新左翼もほぼ同じ。

総括と言う悲劇がかつての若者を貶めた。

連合赤軍リンチ・殺人」事件が記憶に新しい。

 

共産主義と言うイデオロギーが、

唯物史観で人間の神性を認めず、

自己中心性で他者攻撃を常としているからである・・・。

ブラックホールの様なそのエネルギーは、

やがて、

自己崩壊を起こしていく。

 

今がその時かもしれない。

 

【転載開始】
六四天安門事件

民主化を求めて天安門広場に集まった学生を中心とした一般人に向けて、共産党政権は戦車を配備し、丸腰の市民を無差別に虐殺した。写真は戦車の動きをうかがう学生ら(ネット写真)

民主化を求めて天安門広場に集まった学生を中心とした一般人に向けて、共産党政権は戦車を配備し、丸腰の市民を無差別に虐殺した。写真は戦車の動きをうかがう学生ら(ネット写真)

1989年6月4日、北京の天安門広場で、民主化運動を軍が武力鎮圧した「六四天安門事件」が起きた。中国共産党政権はこの日、天安門広場に集まった学生を中心とした丸腰の一般人に、戦車で無差別に攻撃した。政権に影響する「敏感な」過去の事件として検閲されているため、中国国内では事件の事実を知ることができない。現在の中国の若者は、文化大革命のように、事件のことを全く知らないという。

 天安門事件の体験者は、写真や著書で当時の様子を生々しく伝える。中国法政大学元講師の呉仁華さんは、事件で何が起きたかを伝える本を台湾で出している。2007年に『天安門血腥清場内幕(血塗られた天安門の内幕)』を出版。2014年5月、「厳戒部隊」について加筆した増訂版を出した。他にも『六四事件中的坦克第一师(六四事件の戦車第一師団)』を執筆している。

 天安門広場の学生と市民を武力で鎮圧することは、当時の軍委主席・鄧小平が決定した。当時の共産党総書記で軍委副主席を兼任する趙紫陽氏は鎮圧の命令書へサインを拒んだため、党の総書記や政府と軍のすべての職務から外され失脚し、2005年に死去するまで軟禁生活を余儀なくされた。

 呉さんの著書を読めば、上官から進行命令を受けた戦車隊が、天安門広場に進入して大虐殺が繰り広げられるまでの一部始終を知ることができる。下記は、呉さんの著書の一部抜粋して抄訳したもの。


 学生たちに催涙弾発射

 中国政府は事件当時、民主化運動を鎮圧するため北京に20万以上もの軍隊を投入した。このなかには第38集団軍の戦車第6師団と天津警備区の戦車第1師団が招集されていた。

 6月4日早朝6時5分、厳戒部隊の司令部から出動を命じられた戦車第1師団が新華門付近になだれ込み、辺りにいた学生らを追い払うと、8台の戦車が4列に分かれ、2台ずつ揃って前進していった。西長安街から西へ約1キロを過ぎたところでは、市民や学生数百人が地面に横たわり、十数メートルにわたる「人間バリケード」を作っていたが、戦車は減速することなくそのまま前進した。100m、50m、30m…戦車隊は確実に人間バリケードに近づいていったが、市民や学生らは微動だにしなかった。戦車は、ギリギリのところで速度を落とした。

 当局は軍事用催涙弾を使用することを決めた。戦車隊はゆっくりと群衆を取り巻き、新華門付近から追い払っていった。戦車隊が天安門広場から出発してから、わずか30分間の出来事だった。

 戦車隊は新華門付近の群衆を追い払い、なおも西長安街から西に向かって高速で移動しながら発砲したり軍事用催涙弾を発射したりしていた。そして学生や市民らを電報大楼の西側へと追いやると、戦車の一部が六部口で検問を張り、残りが新華門の前で一列に並んだ。

 帰路につく後ろ向きの学生を襲う戦車

 戦車隊が新華門西側からほど近い六部口に差しかかった時、天安門広場からそれぞれの大学に帰ろうとしていた学生の隊列とかちあった。数千人の学生が校旗を掲げ、自転車道を西に向かって歩いていたところだった。すると戦車隊は広い自動車道ではなく、彼らのいる自転車道に進路を向けた。学生たちはまさか戦車が背後から自分たちをひき殺しに来るなどと考えてもいなかったため、多くの人が逃げ遅れ、多数の死傷者を出す結果となった。

 天安門事件で子どもを亡くした親の会「天安門の母」の調査によると、六部口だけで、死傷者は14人に上り、13人は名前・年齢・所属・けが状況・死亡原因など詳しい状況が突き止められている。書籍にはこの時の様子が記されている。

 「あまりにも悲惨なこの様子に言葉を失った。悲痛な叫び声が響き渡った。むごたらしい姿に変わり果てた学生たちの遺体が、歩行者道のあちこちに転がっていた。その道路から2メートルほど離れた場所にあった遺体の頭部には、大きな穴が開いていて、なかから崩れた脳みそがまるで潰れた豆腐のように露出していた。そして脳みそと血が混じり合って、1メートル先まで噴き出した跡があった。歩行者道の脇には4人の遺体が横たわっていたが、そのうち2人は自転車と一緒に戦車に轢かれており、体が自転車に食い込むようにつぶされていた」

 虐殺の証拠として 学生が学生の遺体を収用

 「助かった学生の一部は泣きながらも、殺された仲間の遺体を運び去るかどうかを相談していた。厳戒部隊に遺体が奪われて、虐殺の痕跡が消されてしまうことを恐れたからだ。市民の助けを得て、数人の学生が仲間の遺体を一体ずつ、西長安街奥の胡同に運び込んだ。1人の自営運転手が5人の遺体を政法大学まで運ぼうと提案した。厳戒部隊が一般市民を虐殺した証拠を法的に残すためだった。学生らはこの意見に同意し、5人の遺体を運転手の小型トラックに乗せた。そのうち1体は、自転車と一緒に押しつぶされた学生だった」

 「政法大学の東門では、教師や学生数千人がトラックの到着を待っていた。辺りは静まり返り、ただ泣き声だけが響き渡っていた」

 そして最後にはこう記されている。「六部口の惨劇は、天安門事件の残虐さを最も色濃く映し出している。この大虐殺を指揮したのは羅剛という人物で、狂ったように人間を押しつぶした戦車の番号は106だ。羅剛はその後戦車第一師団副師団長に任命され、内モンゴル軍区の副指令官に昇格した」


 中国共産党政権が27年間「六四天安門事件」の真相を徹底的に封鎖し、恐怖と嘘で人々を洗脳した結果、多くの中国人は事件の真相を分からず、特に若い人達のほとんどは「六四天安門事件」という言葉すら知らない。

(翻訳編集・桜井信一/単馨)

 六四天安門事件の他の写真を掲載。一部ショッキングな写真あり。

(ネット写真)
(ネット写真)
(ネット写真)
(ネット写真)

 

(ネット写真)
【転載終了】

【参考資料】

本日のつぶやき⇒https://twitter.com/hyouhei



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